欧州メーカーに学び自前で生産 / いすゞ ヒルマン ミンクス ジュビリー スーパーDX, 1958年式(昭和33年)

戦後日本の自動車会社の多くは自社で乗用車を開発する技術がなく、欧州メーカーと提携し、エンジンなどを輸入し、組み立て生産した。いすゞは英国メーカーと提携し、ヒルマン ミンクスの生産を1953年から始めた。そうした中でノウハウを学び、部品の内製化を進めた。1957年にはボルト1本に至るまでの国産化を達成した。