ぜひ観て欲しい! ~ 2F のクルマ

ダットサン クーペ 16型

ダットサン クーペ 16型(1937年)

1935年(昭和10年)4月から本格的なベルトコンベアによる大量生産方式で造られた「ダットサン」シリーズは順調に生産台数を伸ばし、1937年にはスタイリッシュな2ドアのクーペモデルを新たに加えて「ダットサン16型」シリーズとして発展した。ダットサン クーペ16型」が発売の半年前に発表された時、「ロードスター」にサイドパネルの付いたスチールのルーフを被せたようなスタイルであったが、発売時にはスチールパネルに換えてサイドウインドウが取り付けられ、サイドステップも取り外されて、スポーティで軽快感のあるスタイリングに変更されていた。また、ドアには埋め込み型ドアハンドルが採用され、インテリアも外観同様、モケット張りのベンチシートでモダンに仕上げられていた。展示車は、1年間しか販売されず、総生産台数は約200台といわれている中の1台。(1937年、日本)

くろがね四起(1941年)

ジープより6年早く完成した四輪駆動車昭和9年(1934年)陸軍は不整地走行性能に富む、小型の「偵察・連絡・人員輸送用車両」の開発を国内の各メーカーに依頼。その結果、試作型で最も優れていた日本内燃機製を正式採用。正式名称は「九五式小型乗用車」、通称「くろがね四起」は不整地の走行に優秀な性能を発揮し、昭和11年(1936年)から量産に入り、終戦までに4,800台が生産された。「物まね日本」と欧米諸国は言いたいところだが、この車は日本独自に製作、改良を重ねて、遂にジープより6年も早く完成し、20世紀の名車となった。(1941年、日本)

くろがね四起
オオタ KC型 トラック

オオタ KC型 トラック(1953年)

20世紀半ば、個人が興した自動車会社の中に「オオタ自動車」という自動車メーカーが存在した。生産台数は「ダットサン」の1割にも満たない台数であったが、常に「ダットサン」をライバル視した車造りを行い、「ダットサン」に勝るとも劣らない自動車を販売していた。戦後のトラック需要に対しても、戦前の旧型シャーシに新形状のボディを架装して生産を行っていたが、資本力の差から新型車の開発が遅れ、徐々に他社と差を付けられていった。この様な中で、小型ボンネットトラック「K系」シリーズとして発展し、1953年(昭和28年)にモデルチェンジされて発売されたのが「オオタKC型トラック」。車体は一回り大きくなり、最大積載量が200kg増やされた。エンジンは、前モデルからの継承で出力が若干アップされ、変速機が3速から4速に変更された。博物館の展示車は1953年型車両。(1953年、日本)

フライングフェザー(1955年)

軽量化を実現し、羽根の様に軽いと命名された住江(すみのえ)製作所製造の車「フライングフェザー」。1955年(昭和30年)3月、大手織物メーカーだった住江織物の子会社、住之江製作所が当時の法規制により、運転免許証の不要な自動車として販売された超小型車。薄鋼板を用いて手叩きのハンドメイドで製作された、2人乗り幌付のリアエンジン・リアドライブ方式の超小型車。タイヤはオートバイ用のワイヤースポークリムに、やはりオートバイ用の19インチタイヤが使用され、乗り心地を重視し、大型車や高級車にも用いられていなかった四輪独立懸架の採用前輪ブレーキ無しなどの行き過ぎた簡易化などが特徴あまりにも簡素すぎる装備やデザインなどは商品性に欠け、一般市場には受け入られなかった。また、メーカー側にも経営面で余裕がなく、1956年には生産中止となった。博物館の展示車は、1955年4月に製作された車両。(1955年、日本)

フライングフェザー
プリンス スカイライン スポーツ

プリンス スカイライン スポーツ(1964年)

プリンス自工(株)がスカイライン1900(BLSID型)と、初代グロリア(BLSIP型)をベースにイタリアのカロッツェリア「ジョバンニ・ミケロッティ」にデザインを依頼して造った、美しいデザインのスペシャリティーカー「スカイライン スポーツ」。日本初のスペシャルティカーとして、1960年(昭和35年)のイタリア・トリノショーで発表され、1962年4月から発売。エンジンやシャシはベース車両とほとんど共通で、ボディはクーペとコンバーティブルの2種類が用意された。イタリアンデザインのボディは「チャイニーズ・アイ」と呼ばれるヘッドライトを傾斜させた個性的な顔つきと美しいプロポーションが特徴。しかし、ボディのほとんどがイタリアの職人の指導によるハンドメイドだったため価格は高価格になり、総生産台数は約60台の貴重な車。博物館の展示車は、一般的に言われている生産終了年の1963年より後に製造された1964年式のクーペ車両。(1962年、日本)

スズキ フロンテ 800(1966年)

1965年(昭和40年)12月、水冷式2サイクル3気筒エンジンをフロントに搭載し、前輪を駆動するFF方式の小型乗用車として発売された「フロンテ800」は、国産初となるFF方式の小型2ドアセダンボディは、直線基調のプレーンなプレスラインとサイドまで廻りこんだリアウィンドウが特徴で、サスペンションは4輪独立懸架を採用。車種のバリエーションは「スタンダード」と「デラックス」の2種類で、両車とも丸型2眼式メーターを採用した、スポーティーな雰囲気のインパネを採用していたが、フロントシートはベンチシートであった。翌年には早くも小変更が行われ、フロントシートがセパレートタイプになり、リクライニングシート仕様も設定された。1969年春に生産中止になるまでの販売台数は少なく、約2600台であった。展示車はリクライニングシートが採用された1966年式のデラックス車。(1966年、日本)

スズキ フロンテ 800
ホンダ N360 スーパーDX

ホンダ N360 スーパーDX(1969年)

高性能で広い室内空間。低価格で軽自動車の常識を覆し注文が殺到1960年代中頃の軽自動車は、2サイクルエンジンを車体後部に搭載して後輪を駆動するRR方式の軽自動車が一般的であった。この軽自動車の市場に4サイクルエンジンをフロントに搭載して前輪を駆動するFF方式の「ホンダ N360」が、1967年(昭和37年)にホンダから発売された。フロントに搭載されたエンジンは高回転型の高出力エンジンで、他メーカーのエンジン性能を大きく上回っており、軽量ボディとの組み合わせから走行性能も他車を圧倒した。1969年、マイナーチェンジが行われ、外観は変更無く、ダッシュボードのソフトパッド化やシートベルト等の安全装備の充実が行われた。翌年、フロントグリルが若干変更された「ホンダ N360Ⅲ」が登場したことから、一般市場ではマイナーチェンジ後の車両を「ホンダ N360Ⅱ」と呼んだ。博物館の展示車は、マイナーチェンジ後のモデルで、中間グレードの「スーパーデラックス」。(1969年、日本)

ニッサン スカイライン 2000GT-EX セダン(1977年)

1977年(昭和52年)8月、スカイラインのモデルチェンジに伴い「2000GT」シリーズも「スカイライン ジャパン」と呼ばれる5代目(HGC210型)となる。プラットフォームは「ローレル(C230型)」とほぼ共通で、ボディバリエーションも先代モデルと同様に4ドアセダンと2ドアハードトップの2種類。ボディは各部にエッジを効かせた直線的なデザインになったが、テールランプは伝統を守って丸形4灯が継承された。ヘッドライトも丸形4灯式であったが、1979年のマイナーチェンジ時に異形角形2灯式に変更された。リアフェンダーに取り付けられたエンブレム(GTマーク)の3種類のベースカラーによってグレードが判別できる。展示車は「昭和51年排出ガス規制」に適合した1977年式で、エンブレムのベースカラーがゴールドの「スカイライン2000GT-EX(セダン)」のオートマチックミッション車。(1977年、日本)

ニッサン スカイライン 2000GT-EX セダン
ニッサン スカイライン GT-R

ニッサン スカイライン GT-R(1994年)

16年ぶりに復活した三代目となる「ニッサン スカイラインGT-R」が、1989年(平成1年)8月から発売された。8代目「スカイライン クーペ GT」をベースに、トルク分配型のセンターデフを用いて4輪駆動(4WD)化された。レース参加を前提に開発されたエンジンは、直列6気筒DOHC方式にツイン・ターボチャージャーを採用し、レース実戦でも大活躍を見せ、1990年から1993年の全日本ツーリングカー選手権では29 戦29 勝0 敗という完璧な戦績を残し、ベルギー・スパ24時間などの海外レースでも高い評価を得た発売から半年後に500台限定の「GT-R NISMO」や、1年後に耐久レース専用の「N1」が追加販売された。また、1993年のマイナーチェンジ時に「V-Spec」シリーズが追加され、「N1」は「V-Spec N1」に変更された。1994年には「V-SpecⅡ」に発展、その年末に販売を終了。展示車は1994年式「スカイラインGTR Vスペック」。(1994年、日本)

シトロエン トラクシオン・アヴァン 11CV レジェ カブリオレ(1969年)

1934年(昭和9年)4月、シトロエンから画期的で斬新な前輪駆動車「シトロエン 7CV トラクシオン アヴァン」が発表。フレームとボディを一体化したモノコック構造の車体前部に、トランスミッション、デファレンシャルギアおよびエンジンを一つのユニットとして搭載し、前輪を駆動した。前輪駆動(トラクシオン アヴァン)方式による広い居住スペースと、4輪独立懸架がもたらす異次元の乗り心地は画期的だった。同年10月、「トラクシオン アヴァン」シリーズに追加されたのが「11CV」と「22CV」。「11CV」は「7CV」の上級クラスで、ホイールベースが異なる2種類のプラットフォームに「Berline (セダン)」、「Cabriolet (幌オープン)」および、「Faux-cabriolet (ハードトップ)」の3種類のボディが組み合わされた。展示車は1938年に生産されたホイールベースが短い「Légère  (小型)」タイプの2座オープンモデルシトロエン 11CV Légère Cabriolet」。(1938年、フランス)

シトロエン トラクシオン・アヴァン 11CV レジェ カブリオレ