第二次世界大戦後~世界の車

ロールスロイス シルバーレイス(1947-1959年)

日本自動車博物館のシンボルカー、初代館長 前田彰三、イチバンのお気に入り!

この車種は、ロールス・ロイス社が一番自慢できる車として長きにわたり制作され、代表的な車と呼ぶ人が多い。日本にも何台か輸入されたが、博物館に展示している車は、運転席と客室が完全に分離されており、英国では、王室車として、大臣および大使用として、多く利用された。

タウンカーとしてのコーチワークは、英国にも極めて数が少なく、日本に於いてはこの車がただ1台のみである。当時、フランスを始めとし、各国がエレガントなスタイル、気品と風格に満ちた車を作る事を目標にしたが、この車の右にでるものが無かった。(1948年、イギリス)

ロールスロイス シルバーレイス
メルセデスベンツ 180D

メルセデスベンツ 180D(1953-1962年)

ワンオーナーで75万キロを走行して表彰されたベンツ。

ベンツの小排気量モデル「170」シリーズに代わるモデルとして、1953年(昭和28年)7月から発売された「180」シリーズ。フレームと合体したフロアパンに、一体型のボディを載せるベンツ初のセミモノコック構造を採用し、また、ボディサイド前後のフェンダーやステップをなくす事により車内容積は拡大し、エンジン、ギアボックス、ステアリングギア等が取り付けられたサブフレームを組み合わせることで、衝撃吸収ボディの構造を実用化していた。

この時代から自動車の安全に対する考え方が優先されており、1954年2月から先代モデルに引き継いでディーゼルエンジン搭載車も追加され、ディーゼル乗用車の普及にも大きな役割を果たした。「180」シリーズはベンツ最初の“コンパクトモデル”と呼ばれ、1962年まで販売された。博物館の展示車はディーゼル車追加直後の1954年式「180D」日本仕様車。(1954年、ドイツ)

メルセデスベンツ 300SL(1954-1957年)

ガルウィング・ドアが特徴のスポーツカー。

ダイムラーベンツがレース用に造ったプロトタイプレースカーを見たアメリカの輸入業者が1000台の確定注文を行って製造販売が始まったと言われているのが「メルセデス ベンツ 300SL」。

1954年(昭和29年)のニューヨーク国際オートショーにおいて「ベンツ190SL」と同時に発表された。

2人乗りクーペボディ最大の特徴は、カモメが翼を拡げたように見えるガルウイングと呼ばれる左右のドアで、ボディ剛性を高めるためにボディ両サイドに通った幅広のサイドシル(フレーム内蔵)を越えて乗り降りするために苦肉の策として採用された。高圧燃料を燃焼室内に直接噴射する方式のエンジンを世界で初めて採用した。1957年春にロードスターが追加され、クーペの生産は終了して在庫販売のみとなり、ロードスターの生産は1963年まで継続。展示車は1955年生産の「メルセデス ベンツ 300SL」クーペ。(1955年、ドイツ)

メルセデスベンツ 300SL
キャデラック クーペ デ・ビル

キャデラック クーペ デ・ビル(1956年)

50年代話題のテールフィンの中でも特に人気があったデザイン。

GMのみならず、アメリカ、そして全世界の最高級車のひとつがキャデラックで「デビル」の愛称で親しまれた。”Deville”はフランス語で「都市・街」という意味。アメリカの1950年代後半は、テールフィンの隆盛期で、各メーカーが競い合って車体後部のアクセントとして用いられた。テールフィンとは、飛行機の「垂直尾翼」の事で、スピード感を与える為のデザインだった。ハードトップはオープンに近い解放感が得られ、爽快さと安全性を両立させた車種で、中でもこの車が最も人気があった。(1956年、アメリカ)

紅旗(1965年~)

紅旗は中国の自動車メーカー「第一汽車」の高級車ブランド。

1958年生産開始、1990年まで造られた。国家指導者の公式車両である。1965年CA770型が誕生したこのシリーズには、セダン、超ロングボディのリムジン、パレード用のオープン仕様車、防弾仕様車などがあった。中国語の読みは「ホンチー」。

サスペンションは、前輪がWウィッシュボーン(独立懸架)でコイルスプリング、後輪がリジットアクスル(固定車軸式)でリーフスプリングである。(1967年、中国)

紅旗