日本のモータリゼーション

トヨペットクラウン(1953-1962年)

外国メーカーの技術を導入せず純国産の技術で完成し高い評価を得た。

1958年(昭和33年)に大きなマイナーチェンジを実施し、型式も「RS/RSD」から「RS20/21」に変更。クラウンが、1960年10月、道路交通法改正に合わせてマイナーチェンジされた。内外観の変更は、フロントグリルやサイドモールの意匠変更とダッシュパネルの変更だけであったが、大きな話題として、1.9Lエンジン搭載のデラックス車(RS31型)が追加された。

1961年4月にはスタンダード(RS30)が追加され、1959年10月から発売されていたディーゼル車を含む「1500シリーズ」が全廃された。“観音開きのクラウン”と呼ばれた初代は1962年9月に、2代目のMS40系にモデルチェンジされる。博物館の展示車は、最後のマイナーチェンジでスタンダード型として追加された1962年式「トヨペット クラウン 1900」のタクシー仕様車で、当時は珍しかったオプション設定のクーラーが装備されている。ボンネット上のオーナメントはDX用。(1962年、日本)

トヨペット クラウン
フライングフェザー

フライングフェザー(1955年)

軽量化を実現し、羽根の様に軽いと命名された住江製作所製造の車「フライングフェザー」。

1955年(昭和30年)3月、大手織物メーカーだった住江織物の子会社、住江製作所が当時の法規制により、運転免許証の不要な自動車として販売された超小型車。薄鋼板を用いて手叩きのハンドメイドで製作された、2人乗り幌付のリアエンジン・リアドライブ方式の超小型車。タイヤはオートバイ用のワイヤースポークリムに、やはりオートバイ用の19インチタイヤが使用され、乗り心地を重視し、大型車や高級車にも用いられていなかった四輪独立懸架の採用や前輪ブレーキ無しなどの行き過ぎた簡易化などが特徴。

あまりにも簡素すぎる装備やデザインなどは商品性に欠け、一般市場には受け入られなかった。また、メーカー側にも経営面で余裕がなく、1956年には生産中止となった。博物館の展示車は、1955年4月に製作された車両。(1955年、日本)

ダイハツ ミゼット(1957-1972年)

少量荷物の運搬に便利で小回りが利き経済的で、大ブームが起こった。

1950年代(昭和25年~)に入り、ダイハツ工業(株)は、車検不要の安い税額の軽自動車枠に着目し、当時存在した軽自動車免許で運転できる車の販売を考えた。1957年8月、300kgの荷物を積めて自転車や小型バイクと同様に、低価格で、維持費もかからず取り扱いも簡単な軽自動車として販売されたのが「ダイハツ ミゼット」。

車体は、2輪車の後部に荷車の荷台を取り付けたような形状で、運転者が乗るキャビンにはドアも無く、屋根も幌であった。また、ハンドルも2輪車と同じ「バーハンドル」で、エンジン始動もキックペダル方式。当時、普及し始めたTVコマーシャルの宣伝にもより、開発陣の思惑通り「ミゼット」は個人商店や当時の零細業者を中心に、爆発的な大ヒットを記録。

博物館の展示車は、新型となる「丸ハンドルモデル」の販売後も併売されていた、セルスタータ装備の「DK2開放型」と呼ばれる幌無しの1960年式車両。(1957年、日本)

【日本自動車殿堂 歴史車】

ダイハツ ミゼット
ホンダ スーパーカブ

ホンダ スーパーカブ(1958年~)

実用的、安価で維持費もかからず軽くて操作性に優れ世界のロングセラー。

(1958年~、日本)

日本自動車殿堂 歴史車

スバル360 K111(1959年)

日本の国民車構想より生まれた「てんとう虫」の愛称を持つ昭和の名車。

1954年9月(昭和29年)から施工された軽自動車の新規格に準じて設計・開発されたスバル360は1958年(昭和33年)春から発売された。

日本の量産車で初となるフル・モノコック構造の車体後部に空冷2サイクル・エンジンを搭載して後輪を駆動する。超軽量の車体は、厚みを薄くした鋼板の強度確保のため平面部分を少なくして、曲面を多用したデザインで構成。丸みを持った車体形状からフォルクスワーゲンの「カブト虫」に対比させて「てんとう虫」と呼ばれ親しまれ、サスペンションは、前後ともトレーリングアームに横置きトーションバーとコイルスプリングを組み合わせた4輪独立懸架方式。(1959年、日本)

日本自動車殿堂 歴史車

スバル 360 K111
三菱 500

三菱 500(1960 - 1962年)

1955年(昭和30年)に通商産業省が提示した「国民車構想」に基づいて開発されたのが、乗用車では三菱重工業初の自社製作となる「三菱 500」。

1960年4月から発売され、4人乗り2ドアセダンの先進的な技術の「モノコックボディ」後部に空冷式2気筒エンジンを搭載、後輪を駆動。同年 10月にリファインが行われ、方向指示器がセンターピラーの腕木式からボディ四隅に取り付けたマーカーランプ方式に変更された。また、バンパー、ホイールキャップ、サイドモールディングがクロームメッキされ、三角窓が採用されたデラックスが加わった。1961年8月には、デラックスに変わる排気量の大きいスーパーデラックスが追加されるが、市場では苦戦し、約1年後に製造中止となる。博物館の展示車は1961年式の三角窓が採用されたデラックスで、クロームメッキのバンパー等がスタンダードの塗装仕様に変更されている。(1960年、日本)

日本自動車殿堂 歴史車

スズキ スズライト FEAII型(1967年)

軽自動車のパイオニアで日本初の前輪駆動車。技術面でも特筆すべき点が多い。

フロントエンジン・フロントドライブ(FF 方式)の商業車用ライトバンをベースにした「スズライト フロンテ 360(TLA)」が1962年(昭和37年)3月、軽乗用車として販売され、1963年のマイナーチェンジ時に”TLA”の呼称から”FEA”に変更。外観上の変更はなく、エンジンが大幅に変更、2サイクルエンジンの宿命でもあった潤滑系統の問題が改善され、耐久性や経済性が大幅に向上した。さらに、大きなマイナーチェンジが1965年に行われ、大きくなったフロントグリル内にヘッドライトが一体で組み込まれたヨーロッパ車調の近代的な顔つきに変更された。

その後、1967年「フロンテ 360(LC10)」にフルモデルチェンジされるまで、安全面で数カ所、変更された。博物館の展示車は、最終期のドアハンドルが引き上げ式(プルアップ式)になる前の1966年式「スズライト フロンテ 360(FEA-Ⅱ)」。(1967年、日本)

スズキ スズライト FEAII型