国産車の誕生~第二次世界大戦

ニューエラ(1930年)

白揚社で製造部長として、オートモ号などの開発に関わった蒔田鉄司氏は、1926年(大正15年)に秀工舎を設立、国産の三輪自動車開発を始めた。

1928年(昭和3年)、イギリス製(350cc)JAP型エンジンを搭載したチェーンによる後片輪駆動で、積載量200kgを誇る「ニューエラ」を完成させた。

その後、蒔田氏は、空冷4サイクルサイドバルブ350ccの国産エンジンを開発・完成させた。1930年(昭和5年)の規則改正に伴い、エンジンを500ccに拡大。(1930年、日本)

ニューエラ
ダットサン17T ロードスター

ダットサン ロードスター 17型(1938年)

1935 年(昭和 10 年)から本格的なベルトコンベアによる大量生産方式で造られたのが「ダットサン 14 型」シリーズ。ボディバリエーションはセダン、フェートン、ロードスター、バン、トラックが設定され、「ダットサン」シリーズの中でも 2 人乗りロードスターは、最も実用的ではなく、ファッショナブルなデザインで、スタイル優先の車だった。

唯一、実用的な部分は後部のトランクリッドを開けるとランブルシート(補助席)が現れ、2 名の人間や荷物が搭載できた。翌年には法改正によりスペアタイヤがトランクの外に設置できるようになり、利便性が向上。1937 年の大きなマイナーチェンジで、ドアが後ヒンジの前開きから一般的な前ヒンジの後ろ開きに変更され、エンジンも出力アップされた。展示車は日中戦争前の最終モデルとなった1938 年式「ロードスター17 型」。(1938年、日本)

トヨタABRフェートン(1938年)

トヨタが1936年から1938年まで、353台生産したフェートン型乗用車。

生産されたほとんどは陸軍に納入され、型式としては「AB型」が民間用、「ABR型」が軍用と区別される。この展示車は軍用としてつくられ、戦後、修理しながら使用されたものである。(1938年、日本)

トヨタABRフェートン
くろがね四起

くろがね四起(1941年)

ジープより6年早く完成した四輪駆動車。

昭和9年(1934年)陸軍は、不整地走行性能に富む、小型の「偵察・連絡・人員輸送用車両」の開発を国内の各メーカーに依頼。その結果、試作型で最も優れていた日本内燃機製を正式採用。

正式名称は「九五式小型乗用車」、通称「くろがね四起」は不整地の走行に優秀な性能を発揮し、昭和11年(1936年)から量産に入り、終戦までに4,800台が生産された。

「物まね日本」と欧米諸国は言いたいところだが、この車は日本独自に製作、改良を重ねて、遂にジープより6年も早く完成し、20世紀の名車となった。(1941年、日本)